丸山 大介さん

第3回 丸山 大介さん(防衛大学校准教授)

    ASAFASに入学するまでーエジプトとの出会いー

    スーダン
    (本インタビューは2016年2月に行いました。)
    ーー第3回のOB・OGインタビューは、防衛大学校准教授の丸山大介さんにお願いしました。本日は研究生活やフィールド調査、研究職への就職についてお聞かせください。

    まず、丸山さんはASAFAS(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)に入学する前の大学院修士の時期にエジプトに留学されていますね。なぜエジプトに留学されたのですか?

    丸山さん(以下、丸山):立教大学での4年間は、そんなに勉強した記憶がなくて、応援団の吹奏楽部でずっとトランペットを吹いていました。ただ何となく大学院に入りたいなと思って、そのまま立教の大学院に入りましたが、はじめのうちはただ漫然と過ごしていました。そのうち、「このままではまずい!」という危機感が芽生え、この状況を打破するためには、荒療治的なことが必要だろう、と思っていた矢先に、エジプト政府奨学金というのをネットで見つけて応募しました。

    ーーへぇー!では、エジプトとの出会いは全くの偶然だったんですか?

    丸山:そうです。これに出せば親も説得できるし、何より現地でアラビア語が勉強できるならいいんじゃないかと思って。だから、もしエジプト政府奨学金に出会わず、エジプトに行っていなかったら、おそらく今僕はここにいないでしょうし、その意味では偶然の出会いが今の僕を作っていますね。

    ーー1年間のエジプト留学を終えて日本に帰国されて、ASAFASに入るまでのことを聞かせてください。

    丸山:エジプトに行っている間に東長先生の学生にお会いして、預言者生誕祭や聖者廟参詣について研究したいと話していたら、東長先生を紹介してくださいました。その後、東長先生とメールのやり取りをするわけですが、その中で先生がおっしゃっていた「フィールドワーカーはすでにいるけれども、アラビア語の文献が読めるフィールドワーカーを育てたい」という言葉にとても感化されました。そのとき僕はすでに修士課程に所属していたので、もう一回修士から入り直すかどうか迷ったんですけど、イスラーム学をしっかり勉強しようと思って、あらためて1年生から入ることに決めました。

    ASAFASでの研究生活

    ーーASAFASに入学されてから、神学を約2年間研究されたのですね。

    丸山:はい。スーフィズムの聖者論というのが一つのメイントピックとしてある一方で、聖者論が他の学問分野でどのように語られているのかに関する研究が少なかったのですが、折しも東長先生が神学の聖者論に着目されていて、そこにインスパイアされました。スーフィズムの聖者論を差異化するという意味では、面白そうなトピックを発見しました。

    ーー博士後期課程ではスーダンをフィールドとして調査をされていますね。スーダンとの出会いはどのようなものだったのでしょうか。

    丸山:スーダンとの出会いも偶然の要素が大きいです。学部生のときにエジプトに留学していたので、エジプトを研究しようかな、と思っていました。しかし、すでにASAFASにはエジプトの研究者も複数いましたし、タリーカを研究している先輩もいて、あまり同じ地域やテーマをやるのもよくないかな、と思って。それで、エジプトとの関わりが深いスーダンが候補に上がって、かつスーダンのスーフィズム研究がそれほどされていない印象がありましたので、スーダンを選びました。

    ーーいつスーダンに決められたのですか?

    丸山:入試の志望動機には、エジプトとスーダンというのは何となく書いていたんですよ。ただ、真剣にスーダンに決めたのは、博士予備論文を書き終えたぐらいです。入学後の2年間は、神学の聖者論を研究していたので、海外にはまったく行かず、日本で神学の文献をひたすら読むという方向性が強かったです。ただ、博士予備論文執筆の合間に、Ali Salih Karrarが書いたThe Sufi Brotherhoods in Sudanという本を読んで、調査の想像を膨らませながら、研究の方向性を具体化していきました。

    ーーそれで博士予備論文を書かれてスーダンに調査に行かれたのですね。

    丸山:はい。博士予備論文を提出してから約半年後に、2年間の予定でスーダンに行きました。例えば他の院生のように2年で予備論文を書いて、それをもとにフィールドワークに行くというよりは、予備論文の話とは全然違うことをフィールドワークでしようと思っていたので、スーダンに行くにあたってはまったくの準備不足で、本当に辛かったです。

    本来ならば予備論文を書いて、しっかりと先行研究を把握してから行くというのが理想なのかもしれないですけど、5年間である程度、形のある論文を作るという制度でこの大学院は作られているので、なるべく早め早めに予定をこなしていく雰囲気でもあったし、他の同期も順調に研究を進めていたので、若干の焦りもありながら、すぐにスーダンに行ってしまったという感じですね。


    ーースーダンでのカルチャーショックはありましたか?

    丸山:カルチャーショックではないですが、一番驚いた事件はヤギに本を食われたことです!村に入って数日後、本がビリビリに破られていたので、村人に嫌われて破られたのかな、と思ってみんなを疑っていたんですけど、ある日、自分の部屋にヤギが入ってくるのをみて、「あ~、こいつか」と思って。海外で1人で調査するのが初めてでしたので、周りの人をすぐ信じることができなかったり、不安が大きかったりしたので、いろんな人を疑ってしまったんですけど、せっかく見ず知らずの外国人を迎え入れてくれたのに、疑ってかかって本当に申し訳なかったな、と思いました。

    調査の最初にこのような経験をして、今後の調査に対して自分がどのようなモチベーションやスタンスで望む必要があるのかが分かりました。最初から疑うのではなくて、謙虚な姿勢で人と会わなければいけないし、こちらも心を開きながら相手と接しなければいけないことに気付かされました。


    ーーエジプトの会議に参加した際に受けたインタビューが新聞で大きく取りあげられましたね。どのような経緯があったのですか?

    インタビュー記事 丸山:スーダンでも今後、もちろん調査を続けますが、一方で他の国や地域のタリーカをみてみたいと思ったので、10年ぶりくらいに、1ヶ月くらいの短期調査でエジプトを再訪しました。その際に、アズミー教団というタリーカが主催する会議に出席しましたが、そこにたまたま同席していた新聞記者に声をかけられて、取材を受けました。

    あのとき、ちょうどイスラーム国に日本人が拉致されて殺されるという事件があったので、新聞記者の側としても日本人(の研究者)がイスラーム、とりわけ、イスラーム過激派、イスラーム国に代表されるような組織による無差別な殺戮をどのように考えているか、ということを知りたかったのだと思いますし、僕としてもイスラームを研究する立場からすれば、あのような事件に対して何らかの形で意見を発信したいと思っていたので、取材を受けることになりました。まさか、新聞の半面をぶち抜くくらい大きく取りあげられるとは思っていなかったので、記事が掲載された新聞を手にしたときは、「どうしよう…」と思ったのが率直な感想です。


    ーー反響はありましたか?

    丸山:エジプト人の知り合いなどには記事を直接渡したり、あるいは、フェイスブックでこういう取材を受けたのでご覧ください、という形でお知らせしたんですけど、言っていることに関しては皆さん納得してくれたし、こういう形で非ムスリムがイスラームについてどう思っているのかを発信してくれたことは素直に嬉しい、という好意的な評価が多かったです。

    ーー具体的にスーダンでは誰を対象に調査を行っていたんですか?

    丸山:主な調査相手は、スーフィー教団(タリーカ)に属する指導者とその弟子達ですね。教団の修道場が各地にあるので、そのような所で行われる儀礼や聖者祭に参加してインタビューするというのが、一つの主たる方法でした。もう一つは、先入観なくいろんなことを知りたいと思ったので、いろんな土地に行って、いろんな所のスーフィー教団を広くみました。さらに、教団とは別に、例えば宗教指導省とかスーフィー教団を管轄するような行政機関の関係者に話を聞いたりとか、スーフィー教団と敵対するようなサラフィー主義者の団体を訪問して、聞き取り調査を行いました。

    ーーそれをまとめ上げて博士論文を書かれたのですね。

    国際会議 丸山:そうですね。直接的にそれをそのまま博士論文にしたというよりも、雑誌に論文を投稿したり、学会や研究会で発表をしたりして、それをもとに博士論文を執筆しました。2011年3月に帰国して、博士論文を出したのはその次の年の11月なので、調査期間プラス1年半くらいで博士論文を書いたという感じです。

    ーー2012年度に博士論文『現代スーダンにおけるスーフィズムとタリーカ-超越性・規範性・共同性-』を提出されました。博士論文の内容を具体的に教えてください。

    丸山:スーフィズムが、人びとにとっていかなる実際的意義を有しているのか、また、現代の政治・経済・社会的状況にどのように対応しているのかについて、スーダンを事例に検討しました。特にスーフィズムは、社会の中で個人と神をいかに結びつけるのかを考える思想や運動なので、個人・社会・神という3者の関係が、スーダンという枠組みの中で、どのように理解・解釈されているのかということを研究しました。と同時に、イスラーム主義を標榜する政府やサラフィー主義者といったスーフィズムに否定的な集団や人々との関係の中で、タリーカがどのような活動を行っているのかを論じました。

    ーー博士論文の執筆中、辛かったことはありますか?

    丸山:現場で見てきたことはとても雑多で、いろんなことが同時多発的に起こっていて、確かに面白いからいろんなことに目を向けて情報収集するんですけど、博士論文というのはそういう雑多な情報をひとつのまとまった形にしなければいけないので、うまくまとまらないケースがありました。あとは、調べたことをだらだらすべて書くわけにもいかず、書かない情報を取捨選択しなければいけないわけですが、一方で自分が知っていることってそんなに全てを網羅しているわけではないので、削らなければいけないけれども削ると中身が薄くなるという論理と事例のバランスとか、その辺がどうしてもうまくいかずに、苦労しました。

    博士号取得後の進路

    ーーそこから博士号を取得されて、その後はどのような進路に?

    丸山:日本学術振興会特別研究員DC2の1年目に博士論文を提出したので、博士号を取得した2013年はDC2をPDに資格変更をして、引き続き京都大学で研究を続けつつ、立命館大学で非常勤講師をさせて頂きました。2014年からは学振の特別研究員(PD・再申請)として上智大学に所属する傍ら、立教大学でイスラームや人類学に関する授業を担当していました。

    ーーその後、防衛大学校の准教授に就任されましたね。

    丸山:予期せぬ形で就職が決まったので、びっくりしているというところが正直な感想です。3年間ある特別研究員の期間のうち、今年が2年目にあたりました。就職にはまったく自信がなく、それでもやらないわけにはいかないので、就職活動は2年目の後半から3年目にかけてやろうと漠然と思っていたんです。ただ、公募がいつ出るかわからないし、自分が出せる公募もあまり多くないなかで、防衛大の公募が「宗教文化」と、「宗教と紛争の関係」という内容でしたので、出してみようかな、と思いました。運良く面接を含めて通ったんですけど、若干ふわふわした感じというか、本当に運がよかったなと思います。

    ーー実際にはもう、授業は受け持っているのですか?

    丸山:はい。今年度は「宗教文化史」という4年生の必修の授業を1つ受け持っていて、イスラームの基礎知識を中心に教えています。防衛大学校の学生は幹部自衛官として国際的な実務の現場でも活躍する学生が多いでしょうから、国際的な場に出たときに役に立つような話や、やはり今、イスラームを無視して国際政治や世界情勢を理解することは難しいと思うので、イスラームがどういう宗教なのかとか、イスラームの世界がどのように広がってきたのかについて、自分の経験をもとに授業をしています。

    受験志望者へのメッセージ!

    丸山さん&松田さん ーー最後に本研究科に興味を持っている受験志望者にコメントをお願いします!

    丸山:まずは興味を持っているとすれば、興味や関心に近い先生と実際にお話ししたりとか、在学生に話を聞いたりして、イメージを具体化させるのがいいと思います。僕自身も、なんとなく大学院に入りたいと思っていたけれども、東長先生やASAFASの学生と話す中で、自分がやりたいことは何なのか、あるいはASAFASに入ればこういうことができるのか、ということを知ることができました。

    なので、もし興味があるのであれば、積極的に先生や在学生とコンタクトを取ることをお勧めしたいです。まずは、自分が大学院に入って何がしたいのか、どういう勉強をしてどのような研究者なり教育者なり、あるいは実務家なりになりたいのか、自分がどういう風な将来を描きたいのかっていうイメージを持った方がいいと思います。

    5年間というのは長いわけですよ。20代前半から20代後半にかけての5年間というのは、結構重要な時期だと思うので、漠然と大学院に入ってなんとなく研究を進めていくというよりは、入る前からある程度自分の中で問題意識をはっきりさせて、スムーズな形で研究を進めていくっていうのがいいと思います。入ってから紆余曲折はあると思いますけど、少なからず「こういう目標がある」というのをしっかり持っていた方が、充実した大学院生活が送れると思います。


    本日はどうもありがとうございました!(了)

    【インタビュアー:松田 和憲(イスラーム世界論講座 2014年度入学)】
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