庄司 翼

庄司 翼(イスラーム世界論講座) 「アッサラーム・アライクム」

    「アッサラーム・アライクム」という挨拶があります。「あなた(がた)の上に平安がありますように」という意味で、ムスリムの居るところならばどこでも通じる言葉として有名です。この挨拶は、アラブ圏では通常、人のいるところへ新たに入っていく人がする挨拶だと見做されています。たとえば、既に人のいる部屋に入っていくときや、道端で何人かが話しこんでいる近くを通り過ぎるときなどに「アッサラーム・アライクム」と挨拶します。するとあなたが彼らに対して敵意がないことを示す事ができ、相手がそれに対して「ワ・アライクム・アッサラーム」と返せば、相手もあなたに敵意がないという事になるので、お互いに安心することが出来るというわけです。

    ところが、僕がフィールドとしている中央アジアのウズベキスタンでは、事情が少し異なります。ムスリムの多いウズベキスタンでも「アッサラーム・アライクム」は通じるのですが、まずなによりも挨拶は「年下の人が年上の人に対してしなければならない」ものなので、必然的に「アッサラーム・アライクム」も年下の人が年上の人に対してしなければならない挨拶となっているのです。それに対する返事としては、もしも相手が年下ならば「ワ・アライクム・アッサラーム」と返しても良いのですが、年上の方から先に挨拶されてしまった場合には「アッサラーム・アライクム」で返すのが礼儀ということになります。どちらが後からその場にやって来たか、ということは関係ありません。

    ウズベク語の勉強を始めたてで何もわからなかったころ、僕はお世話になっていたウズベキスタンの先生(アラブ圏での留学経験あり)の「アッサラーム・アライクム」に一度だけ「ワ・アライクム・アッサラーム」と返事をしてしまった事があります。相手の先生はびっくりした表情をしたあと、急にウズベク語で話すのをやめて、アラビア語で話しだしました。おそらく、ウズベク語であれば失礼な返答でもアラビア語としては礼儀に適ったものだったので、僕のことを思ってそちらでの会話に切り替えてくださったのでしょう。

    このルールは日本でいえば敬語の感覚に近いようで、お医者さんなど「先生」と呼ばれる職に就いている方には、自分から「アッサラーム・アライクム」と挨拶するのが良いようです。お医者さんの方では、「ワ・アライクム・アッサラーム」と返しても失礼ではないし、相手を尊重するならば「アッサラーム・アライクム」と返しても良い。つまり選択権があるということになります。

    帰国後、もしかしたら自分の記憶違いかもしれないと思い、イエメンの友人にこの話をして、youtube にあがっているウズベキスタンの動画を見せたところ「えええ信じられない!おもしろい!」と言われました。同じ「アッサラーム・アライクム」という言葉でも、地域が違うと使い方も少し異なるようです。同じようで全然ちがう、イスラーム世界の多様さに触れた瞬間でした。
    【「アジア・アフリカ地域研究情報マガジン」第168号(2017年6月)「フィールド便り」より引用】
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